夢の職業・看護師をスタートに、
好奇心の向くまま幅広い職へ

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

現在のお仕事内容を教えてください。

角本さん

角本さん

1年と5ヶ月前に、娘と一緒にエステサロンRetea.(ルテア)をオープンし、現在も運営しています。また、週に3〜5回ほど、派遣看護師として看護師の仕事もしています。

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

今日に至るまでのご経歴を拝見しましたが、本当に色々な働き方をご経験されているのですね。最初は、看護師の仕事に興味があったのでしょうか?

角本さん

角本さん

そうなんです。小学4年生のときから「看護師になりたい!」と決めていました。当時祖父が病院に入院していたのですが、そこで看護師の仕事を間近で見て「素敵な仕事だな」「人に親切にするっていいな」と思ったことがきっかけで。看護師の道へまっしぐらでした。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

幼い頃からの夢を叶えたのですね!実際に働いてみて、理想と現実のギャップというのはあったのでしょうか?

角本さん

角本さん

やはり働いてみると、様々な背景の方と関わりを持つことになる、想像以上に尊いお仕事だと実感しました。病気や怪我をされた方の一番近くで支えるためには、その方が生きてきた人生や、仕事のことをひっくるめて理解しなければ、理想の看護をできないなと思ったんです。それがきっかけに、人としての幅を広げるべく、看護師資格を活かしながら色々な仕事へと転職を始めました。

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

だからお子さんからご年配の方まで、幅広い方と関わる仕事をしてこられたのですね!

角本さん

角本さん

はい。仕事に対する好奇心もありました。ある仕事をしていると、次はこれをやってみたい、とどんどん増えてゆくんです。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

なるほど。「仕事が嫌になった」などの後ろ向きな理由ではなく、「もっともっと」といった前向きな理由で転職をされてきたのですね。

看護から企業へ。
全く違う働き方に飛び込む難しさ

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

転職されるときには、どうやってお仕事を見つけられたのでしょうか?

角本さん

角本さん

まず看護のお仕事から准看学校の教員へ転職した時は、お声がけをいただいたのがきっかけでした。その後、ユニ・チャーム(株)へ転職したときには34歳で年齢的にも一つの区切りでしたし、製薬会社などの企業で働く友人達の姿を見て「チャレンジしたい」と思い、転職活動を始めました。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

年齢的な区切り、というのは?

角本さん

角本さん

看護師から企業への最初の転職には、年齢制限が無いようであると思っていて。一度企業を経験すると、それなりの知識やマナーが身に付いた状態のためその後も転職しやすいのですが、それまでずっと看護師しかしていないとなるとやはり難しいのかな、と。35歳が一つの目安になると思います。

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

なるほど。患者さんを相手にするのと企業を相手にするのとでは、勝手が違いますからね。はじめての転職活動は、やはり大変でしたか?

角本さん

角本さん

大変でした!免許さえあればお仕事があった看護師とは違って、履歴書や職務経歴書も書かなければならなかったですし、面接にも何回も行きましたし。「とにかくどこかの企業へ入りたい」という思いで、友達に教えてもらいながら色々な企業へ書類を出しました。そこでユニ・チャームへ転職しケアアドバイザーとして働いた後、エージェントさんから声をかけていただき、外資系の企業へトントンと転職してゆきました。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

やはり日本の企業と外資系の企業では、何か違うのでしょうか?

角本さん

角本さん

全然違いますね。外資系の企業は、やればやるだけ評価されるシステムなので。結果を出せる人には、インセンティブも入りますし、どんどん出世してゆきます。その分、自分で考えて行動し、結果を出さなければならないんです。そのため、病院に行けばある程度やることが決まっていた看護師の働き方とは、全く違いましたね。

無我夢中で両立させた、育児と仕事

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

看護師、教員、企業、エステと、ずっと働かれている角本さんですが、出産や育児をしていく間はどのような働き方をされていたのでしょうか?

角本さん

角本さん

結婚と出産のため、2年半働いた中国労災病院を退職しました。しかし、少しブランクはありますがその間も働いていて。というのも、2000年に介護保険制度が創設され、色々なところに人手を求められていたんです。お年寄りのお宅へ訪問調査に行ったり、役所で保健師の代わりに働いたりと、なんでもしていました。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

なるほど。では育児のかたわら、ずっと働き続けてこられたのですね。両立する難しさもあったと思います。

角本さん

角本さん

もちろん大変でした。今は少しずつ女性が働きやすい環境が整えられてきていますが、25年以上も前だと、病院に保育所なんてありませんから。出産や育児もしながら、夜勤もして、という働き方は容易ではありませんでした。そのため、一度病院を退職していますし。

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

それでも、一度退職されてからお仕事に戻られたのは、どういった思いがあったのでしょうか?

角本さん

角本さん

シンプルに、「外に出て仕事をしたい」という気持ちでした。家に居ておとなしくすることができなくて。子どもの熱で仕事を休まざるを得ないなど、職場や家族に迷惑をかけることもありましたが、無我夢中で両立させていましたね。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

働きながら子育てもしたい、という女性達に、メッセージやアドバイスを送るとしたら、なんと伝えたいですか?

角本さん

角本さん

いろいろ悩むと思いますが、「どうにかなる」と伝えたいです。責任のある親として、ある程度の我慢や悩みもあるけれど、家族や社会に助けを求めることも大切。やはり、自分の気持ちを大切にして、それを周囲に伝えられたら大丈夫、「どうにかなる」と思います。

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

経験者からの心強いメッセージをありがとうございます。

自分の“やりたい”に忠実に!
看護にも想いが繋がる、エステサロン

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

今やられているエステサロンの仕事は、看護からガラっと印象が変わりますが、どのようなきっかけで始められたのですか?

角本さん

角本さん

それまで訪問看護のお仕事をしていたのですが、47歳で、乳がんになってしまったんです。そのときに、いろいろな検査を受けて、先生と話して、治療をして…と患者側の経験をしまして。そこで、普通の看護師であれば「この経験を生かしてもっと寄り添える看護をしよう!」と考えると思うのですが、私は全く逆だったんです。

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

逆、と言いますと?

角本さん

角本さん

「もっと自分のために生きたい!」と思ったんです。人生100年時代といえど有限なのだから、自分自身の心が喜ぶことをしよう、と思ったのが大きなきっかけでした。それでもやはり、「誰かのためになりたい」という想いは持ち続けているのですが。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

そんな自分のためにやりたかったことがエステサロンだったのですね。

角本さん

角本さん

はい。バンジージャンプを飛んでみたい、とか、オーロラを見てみたい、といったやりたいことリストの中に、「エステサロンをやってみたい」があったんです。また、広島に住んでいたので「大阪に住んでみたい」というのもあって。それに加えて、娘がエステティシャンの仕事に就いていたことも繋がった結果、実現しました。

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

想いを繋げて実現できるなんて、素晴らしいですね!

角本さん

角本さん

もともとエステが好きでしたし、ただやりたいことをやってきただけなんですけれどね。コンプレックスを抱えて来られたお客さんに、さん々な角度からカウンセリングをして、その方に合った施術をする。その結果、喜んでいただけて、心が豊かになっていただける。そう考えると、看護とエステは近いような気がします。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

確かに私も、肌荒れ一つ治るだけで、心が軽くなります。その点では、非常に密接しているといえますね。

まず一歩踏み出してみて。
悩むのはそれから!

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

これから先、目標を見つけて様々な道へすすむ読者の皆さんに、看護師の先輩としてアドバイスをいただけますか?

角本さん

角本さん

「やりたいことをやってみて」と言いたいです。できるかな?やれるかな?と不安になる気持ちも分かりますが、とりあえず一歩踏み出すことが大事。「失敗したらどうしよう」とか、「傷ついたらどうしよう」とか思わなくても大丈夫です。嫌なら逃げればいいし、間違えたら修正すれば良いんですから。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

考えすぎずに、一歩踏み出す、ですね!

角本さん

角本さん

はい。踏み出さなければ何も始まらないですからね。悩んで足踏みするよりも、踏み出してから悩むべきだと思います。

今の自分を大切に
“楽しく生きる”ための秘訣

編集者<br>りょうちゃん

編集者
りょうちゃん

今後、生きていく上でやりたいことや、目標はありますか?

角本さん

角本さん

具体的な目標は構えていませんが、楽しく生きる、やりたいことを一つずつやる、ということは大事にしたいです。

編集者<br>クラミー

編集者
クラミー

毎日楽しく生きるって、大切ですけれど、難しいですよね。世の中には、将来が不安で悩んでいる方も多くいらっしゃいます。

角本さん

角本さん

不安なものや、嫌なものは、思い切って切り離してみたらいいと思うんです。嫌なものがあると、それに心を引っ張られてどんどん動けなくなってしまうので。たった一回の自分の人生なので、自分の軸、自分の心を大事にしながら、楽しく生きることが大切だと思います。誰しも、今日が一番若いですから。

【インタビューに答えてくれたのは…】
角本千春さん
看護師として病院や、准看護学校の教員、企業でクリニカルスペシャリストとして働いたのち、娘さんとともにエステサロンを運営。

1988年4月 ~ 1991年3月 山陽女子高等学校
1991年4月 ~ 1993年3月 山陽看護専門学校
※5年制の一貫校
職歴
1993年4月 ~ 1995年9月
中国労災病院(整形外科病棟·ICU)
1995年 江田島市にて高齢者訪問調査
2000年 呉市にて乳幼児検診·育児相談·生活習慣病予防の健診·保健指導など
2001年8月 ~ 2004年8月
介護老人福祉施設 たちばな苑(老健内の看護)
2004年9月 ~ 2008年7月
江能准看護学院(准看学校の教員)
2009年4月 ~ 2011年7月
ユニ·チャーム(株)広島支店(ケアアドバイザー)
2011年8月 ~ 2016年12月
ケーシーアイ(株)関西支店(医療機器·クリニカルスペシャリスト)
2017年5月 ~ 2019年4月
(株)N.フィールド広島(精神科特化の訪問看護ST·STの立上げも経験)
2019年5月 ~ 2022年10月
(株)shine(訪問看護ST·呉でゼロスタート、愛媛で立て直し)
2023年2月~ 現在Retea.(ルテア·エステのオーナー)
※陸上自衛隊 予備自衛官
※長男…広島市内で正看護師として勤務。
※長女…大阪市天王寺区でエステティシャン

【ナラティブ・ガイド】
角本さんもキャリアアドバイザーをされている「株式会社ナラティブ・ガイド」は、医師・看護師・PT/OT/ST などの医療従事者を必要とする法人へ採用・定着を支援、そして医療有資格者の一人ひとりのライスワーク、ライクワーク、ライフワークを支援する会社。自分の強みを活かしながら、人生の『ナラティブ(物語)』を作っていきたい方、人材不足でお困りの方は是非一度ご相談ください。
(株式会社ナラティブ・ガイド
医療機関・介護施設の人材不足、定着率などの課題解決をサポート (nguide.jp))