対談インタビュー
健康寿命を延ばし、幸せな時間を増やす。スポーツトレーナー×薬剤師が広げる健康の輪
今回インタビューにお答えいただいたのは、大阪府で「楽しみを創造する」をコンセプトに、様々な福祉・医療事業を展開する『株式会社楽しみ』の代表取締役・山本さん。自身のキャリアヒストリーと、女性ならではの価値観、人生設計のお話まで、たっぷりとお伺いしてまいりました。
編集者
クラミー
まず、山本さんの仕事内容を教えてください。
山本さん
はい、設立して22周年になる『株式会社楽しみ』の代表取締役をしております。もともと介護事業からスタートした会社で、現在はケアプラン・訪問介護・訪問看護・レンタル事業・デイサービスの5つの事業を展開しており、経営企画も入れると6事業になります。私自身、現在も管理職としてマネジメントをしつつ、いちプレイヤーとして主任ケアマネージャーを行っています。
編集者
りょうちゃん
6つの事業を管理しながら、プレイヤーまでされているんですね。
山本さん
実は22周年を迎えるにあたって、少し仕事をセーブしようと思っていたのですが、コロナの影響で働けない方や、事業がうまく動かなくなってしまった業界を見た時に「私たちはコロナがあっても止まらないし、止まれないな」と改めて思い、進むことに決めたんです。
編集者
クラミー
福祉業界は何があっても止まることのない職種・業界ですよね。
山本さん
そうなんです。コロナ禍でいろいろな経験をした後、セーブをしようと思っていた気持ちに逆にスイッチが入ってしまって(笑)。「事業をもっと大きくしよう」と、事業計画を動かすことを決めました。今は引退どころか、施設事業の展開や女性が輝くNPO法人の活動など、どんどん動いている最中です。
編集者
りょうちゃん
今日は、10年前の山本さんのインタビュー記事もご用意いただいて。拝読させていただいたのですが、10年前のインタビューと、現在の山本さんの考え方に変化はありましたか?
山本さん
えぇ、違う部分も多かったですね。当時の記事に書かれていた従業員の数などはそんなに変わっていないのですが、売上が倍になっているんです。
編集者
クラミー
倍!すごいですね。売上が伸びた理由は何だと思われますか?
山本さん
10年前、私たちがメインでやっていたのは、在宅介護とヘルパーステーション。そこから事業数を増やしつつも、業務の手順を大幅に変えることはしていなかったのですが、年商が倍になっていることを考えると、この10年間で効率のいいカタチを見つけて来られたのが理由かな、と思います。ただ、インタビューを見ると、10年前の自分は働き方に迷っていました。
編集者
りょうちゃん
それはどういった迷いですか?
山本さん
ちょうど、結婚や妊娠といった人生の選択に悩んでいる時期で。仕事は軌道に乗っているけれど、自分はこのまま進んでいいのか…と、自分の未来に迷っていたんです。
編集者
クラミー
結婚、そして、妊娠は女性にとって大きな人生の選択であり、岐路ですもんね。
山本さん
そうなんです。ちょうどそんな時期に海外へ行かせていただく機会があったのですが、それが私の大きな転機になって。
編集者
りょうちゃん
転機!気になります。
山本さん
直にいうと、海外へ行って鼻の頭が折れたんです(笑)。オーストラリアへ行ったのですが、「私ってまだまだなんだ」と思わされる瞬間が本当に多くて、自分の生きてきた世界の小ささに気づかされたんですよね。現地の人は私という人間を“肩書きも何もない、英語が話せない日本人”として接するんです。まず、そこにカルチャーショックを覚えて。
編集者
クラミー
誰も何も知らない環境で、言葉もままならない…いろいろな面で日本とのギャップを感じそうですね。
山本さん
本当にそうで、私自身、自分は割とメンタルの強い人間だと思っていたのですが、海外と日本の環境のギャップに少しやられてしまったんです。ホームステイ先のお母さんも、語学学校の先生も何を言っているのか分からない、そんな環境に戸惑う日々でした。
編集者
りょうちゃん
その留学経験が、転機に変化したキッカケはなんだったんですか?
山本さん
ある時「落ち込んでいてもしょうがない!」と思って、“語学留学”という目的を、“ビジネスの視察”に変えたんです。オーストラリアの介護施設をいくつか見学させてもらって、現地の福祉事情の視察に注力しました。
編集者
クラミー
語学留学から、ビジネス視察…その切り替えは山本さんの根性の成果だと思います。
山本さん
あはは、確かにそうかもしれないですね(笑)。ただで帰って来るようなタイプじゃないので(笑)。向こうで友人をたくさん作って、施設の状況をたくさん教えてもらったんですよ。将来的には海外にも施設を建てたいと思っているのですが、その目標を持つことができたのは、あの経験があったからだと思います。
編集者
りょうちゃん
実際に海外の介護施設を見て、どう感じられましたか?
山本さん
私がオーストラリアへ行ったのは、もう12年前になるのですが、その当時から日本の施設とは広さから自由さ、そして施設にいる方々のハッピーさまで全然違いました。
編集者
クラミー
10年以上前の段階で、そんなに差があったんですね。
山本さん
はい。ただ私は、当時から変わらず、介護サービスの質は日本が最高だと思っているんです。海外の自由さと、日本のおもてなしが融合したら、世界的に見ても絶対に良い物ができると思って帰ってきました。
編集者
りょうちゃん
それが山本さんの転機に?
山本さん
そうです。「事業拡大するぞ!」と、決意して、まずは経営学を学びに学校へ通い始めました。というのも、私、高校の商業科を卒業してすぐに就職したので、経営に関わる勉強をしたことがなくて。10年間は独学で走って来れたけれど、ここから先はそれじゃ走り切れないと感じたんですよね。海外から帰って来て、会社を株式に変えて、経営学を学んだのが転機を迎えて最初の一歩でした。
編集者
クラミー
経営学の学校では、どういったことを学ばれましたか?
山本さん
まず、事業計画を立てるところからスタートしましたね。うちの会社では『オールハッピー計画』という事業計画を、毎年中身を変えながら更新し続けているのですが、その第一弾を立てる時に学校へ行ったんです。仕事をしながらだったので、夜に通えるカリキュラムを取って勉強をしました。
編集者
りょうちゃん
社長をしながら学校での勉強、すごいです!その時の経験は今にも繋がっていますか?
山本さん
学んだことはもちろん、学校で出会った方たちとは今でも繋がっています。経営学の学校なので、大手企業の経営企画室のメンバーの方や、異業種の方との出会いがたくさんあって。横の繋がりができたことは、大きな経験と財産になりました。
編集者
クラミー
『オールハッピー計画』を軸に、山本さんが“福祉の未来”を見据えて行ったことを教えてください。
山本さん
『オールハッピー計画』を立てて、まず着手したのが訪問看護の分野でした。国が地域包括ケアシステム(※1)の推進を始めた時だったのですが、その実現に参画するためには「何があっても医療を立ち上げなきゃ!」と思ったんです。実際、訪問看護の事業が会社のレベルをひとつ上げてくれました。
編集者
りょうちゃん
ヘルパー事業所から医療事業を立ち上げるのは、非常に大変だったのではないかと思うのですが…
山本さん
最初は本当に大変でした。全国的に見ても、介護の会社から医療を立ち上げたという前例がなかったんです。でも、だからこそやる意味があるな、とも思って。介護事業の会社が、ドクターの望むカタチの訪問看護を立ち上げることができたら、重宝されるだろうと思ったんです。
編集者
クラミー
今までになかったものだからこそ、作り上げた時の価値は高まりますよね。
山本さん
そうなんです。どうしても介護だけでは、“安心安全”というところでサービスを提供できなかったり、医療的な知識が薄くなったりするといった課題があって。
編集者
りょうちゃん
看護師とヘルパーの知識の連携は、難しい課題なんですか?
山本さん
私の感覚として、医療の方たちってプロ意識が高いので「分からないことは自分で調べてください」といった姿勢の方が多いんです。一方でヘルパーさんは、自分で調べたり、勉強したりするのが苦手な方が多くて…。双方をそのまま放置しておくと、どうしても医療が先に走っていってしまって、介護分野は置き去りになってしまうんですよね。でも、医療と介護が同一法人だったら、お互いに手を取り合うことができるじゃないですか。
編集者
クラミー
確かに。同じ会社のひとつのチームとして、両者が団結できますね。
山本さん
その仕組み作りをしっかり行っていくために、私もマネージャーとして医療事業に関わるようになりました。今は会社としての目標を達成するために、みんなでスクラムを組めていると感じます。
編集者
りょうちゃん
会社の社長であり、妻であり母である山本さん。女性の人生の選択について、どう考えられますか?
山本さん
私、28歳で今の会社を起業して、そこからの10年間ずっと働いていたので、正直「子供はできないんだろうな」と思っていたんですよ。で、「子供ができないのなら結婚もしなくていいや」とも思っていて。
編集者
クラミー
どこか、その2つはセットのようなイメージがありますもんね。
山本さん
やっぱり仕事をする上で、結婚・妊娠・出産って大きな選択になってくるじゃないですか。事業を大きくすると決意していましたし、仕事をまだまだ頑張ると意気込んでいたので、「結婚も出産もしない」と、スイッチが入っていたのですが、42歳の時に自然に子供を授かることができて、そこから妻・母としての人生が始まりました。
編集者
りょうちゃん
山本さんの前に運命がやってきたんですね。仕事をしながら、どのようなマタニティライフを過ごされたんですか?
山本さん
妊娠が分かったものの、経営者である以上休むことはできなかったので、「仕事は絶対にし続ける!」と、決意してマタニティライフを過ごしました。本当に大変な日々だったけれど、息子が生まれて私の人生が本当に変わったんです。
編集者
クラミー
山本さんの表情から、深い〈愛〉が伝わってきます。
山本さん
妊娠・出産の経験を経て「女性が輝く社会」を作りたい気持ちが、さらに強くなりました。私自身、女性経営者として差別を受けたり、周りからいろいろと言われたり、本当に大変なことをたくさん経験してきましたし、従業員の女性たちからも、女性が勤務する上での大変さがあることを聞いて…。
編集者
りょうちゃん
「女性が働く」当たり前になってきているものの、それでも厳しい実情が根本に残っていると感じることも多いです。
山本さん
そうなんですよね。いまだに女性が仕事をする、と言うと周りからいろいろと言われる現状があるんです。ただ、私は女性側も自立しないといけないと思っていて。今まで男女間で築かれてきた価値観・歴史は、少なくともあと10年は変わらないと思うからこそ、女性には自分の能力を信じて自分の足で進んで欲しいと思うんです。
編集者
クラミー
『株式会社楽しみ』さんでは、多様な働き方ができる環境を作られていると伺いました。
山本さん
うちの会社では、子供が小さい時は子供を優先してもらう働き方を提案しています。でも、そんな考え方になることができたのも息子のおかげ。うちは、一代で兄のキッチンからスタートしたような会社だったので、必死で虚勢を張らなければ生き残っていけなかったんです。
編集者
りょうちゃん
その時の山本さんの踏ん張りが、今の会社の姿になっていると感じます。
山本さん
正直、自分が出産するまでは、子供と仕事を天秤にかけた時に「絶対的に仕事でしょ」と言い切るような人間だったんです。でも、息子が生まれ子育てをするようになり、子供の急な発熱などで迷惑をかけてしまった先方に頭を下げて謝る経験をした時に、すべての“お母さん”への気持ちが〈尊敬〉に変わったんですよ。
編集者
クラミー
息子さんの存在が、山本さんを新しい場所へ導いてくれたんですね。
山本さん
もし子供がいなかったら、今、こんなにハッピーじゃないと思います。息子から、今までとは比べ物にならないほどの“学び”と“経験”を教えてもらったので、私にとって子供を授かったことは、人生の大きな大きな転機であり、奇跡でした。そして、子育てを通して自分自身が成長できたことが、会社の成果にも繋がっているんじゃないかな、と。そういった経験も含めて「女性が輝ける社会」を支援していきたいと思っています。
編集者
りょうちゃん
22周年を迎えた『株式会社楽しみ』。山本さんが続けてこられた〈原動力〉は何でしたか?
山本さん
私の生きる目的って、すべてが「楽しみ」なんです。「楽しくない」と感じることはしたくないですし、常にワクワクしていたい。そんな気持ちで22年間やってきた気がします。だからかな、私、一度も仕事を辞めたいと思ったことがないんですよ。
編集者
クラミー
一度もですか!?
山本さん
苦しいことはたくさんあったけれど、その困難をも超えるほど仕事が楽しいんです。私から、『株式会社楽しみ』に興味を持ってくれた女性たちにメッセージを伝えるとすれば、女性が輝ける会社なので、是非いろんな女性に入って来てほしいということ。ただ、上り詰めたければ、それなりの努力は覚悟してください。
編集者
りょうちゃん
女性たちも、「自分を向上させていくぞ」という〈決意〉が必要ですよね。
山本さん
どこかに「女性だから」という甘えがあったら、絶対に上にはいけません。いざ、自分が女性の管理職などになる機会がきた時に、きちんと仕事ができる人になっている必要があるんです。「女性はただ笑っていたらいい」という時代ではなくなっていますから、女性たちもきちんと〈覚悟〉を持って欲しいと思います。
編集者
クラミー
最後に、今の職場環境に悩んでいる方に、山本さんからアドバイスをいただけますか?
山本さん
私がいつも従業員たちに言っているのは、「身体を壊してまで働くのは違うよ」ということ。人生の幸せのために働いているのに、鬱になったり病気になったりするのはおかしな話じゃないですか。日本には様々な制度があるわけだから、まずは自分を守ることを優先して欲しいと思います。
編集者
りょうちゃん
自分の心身が健康でないと、幸せを感じることは難しいですもんね。
山本さん
そう。自分が楽しいと感じること、本当に熱中できることを大切にして欲しいな、と。ただ、その考え方をベースに、社長としては「頑張ることができる子は頑張らせる。そこを乗り越えた先で、本当の楽しみと出会ってほしい」という想いを持っています。
編集者
クラミー
山本社長の思う“本当の楽しみ”とは、どういったものですか?
山本さん
私、“うわべの楽しみ”と“本当の楽しみ”という、ステージの違う〈楽しみ〉があると思っているんです。仕事を通して得た“本当の楽しみ”って、努力を乗り越えた人にしか見ることができないんですよね。
編集者
りょうちゃん
楽な道のりじゃ、絶景には辿り着けない山登りと似ていますね。
山本さん
そうなんです。本当に苦しかったら逃げればいいと思うけれど、そうじゃない“逃げ”は、逃げたところで結局何も変わらないと思うんですよね。きっと次のところでも同じ課題が出てくるし、その度に逃げることになってしまう。逃げずに乗り越えた先で“本当の楽しみ”を見た時に初めて、仕事が人生の一部になるんじゃないかと思っています。自分の“逃げ”の理由が何なのかを見極めるためにも、すぐに辞めるのではなく、1年は働いてみることをオススメしたいです。
【インタビューに答えてくれたのは…】
大阪府・株式会社楽しみ
代表取締役 山本淳子さん
【経歴】
地元の高校を卒業後:鉄工関係の会社に就職。
23歳:退職後、個人事業として人材派遣会社を創業
→その後、一転して介護事業に目を向けて資格を取得。
現場で経験を積み、2001年に独立。翌年、法人改組を遂げる。
在宅介護5事業を運営し、42歳で出産。
現在:母として経営者として育児と仕事を両立。
今後も新施設建設など幅広い事業展開を予定。
【注釈】
※1:地域包括ケアシステム・・・厚生労働省が推進している、「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるように支援する、地域の包括的な支援・サービス提供体制」