対談インタビュー
医療従事者に新たな〈縁〉と〈場〉を提供。志高くコミュニティ運営に勤しむ臨床工学技士
今回インタビューにお答えいただいたのは、株式会社エコー検査の代表である堀澤美香さん。臨床検査技師として病院勤務をされていた堀澤さんが起業するに至るまでの経緯や、エコーの仕事に対する真摯な想いを伺ってまいりました。
編集者
クラミー
現在堀澤さんはご自身で会社を経営されていますが、元々は臨床検査技師として病院などで働かれていたのでしょうか。
堀澤さん
そうなんです。最初は、病院で臨床検査技師の仕事をしていました。ただ妊娠中に、親子共々命の危険にさらされるような大きい病気にかかってしまったんです。その際入院をして、患者としてたくさんの方々に助けていただきました。もしこの先元気になったら、自分の命を守ってくれたスタッフの皆さんのように、医療人として人に尽くしながら生き生きと働きたいという想いが改めて芽生えました。
編集者
りょうちゃん
堀澤さんご自身が、患者さんになられた経験があったんですね。
堀澤さん
はい。退院した後も病院で働いていたのですが、私が30歳の時に父が亡くなって。父は会社を経営していて、その後母が社長業を引き継いだのですが、それから10年くらいで倒産してしまいました。その際、私は臨床検査技師の国家資格を持っていたので、会社の負債の保証人になれたんです。負債の一部、数千万円の借金を背負うことになったのですが、病院に勤めながら借金の返済をしていくのは難しいだろうと正直思いました。
編集者
クラミー
確かに、かなり大きな金額ですよね。
堀澤さん
その後知り合いのコネクションを通じて、夫と老人ホームを共同経営することになりまして。介護業もやりがいはありましたが、やっぱり私は医療に携わりたいという想いが大きくて、そんな時に医療関連のアルバイトのお話を知り合いからいただいたんです。そのアルバイトというのが、老人ホームへの出張エコーでした。エコーは病院でしか取ったことがなかったので、こんなエコーの仕事もあるのかと大きな気付きを与えられました。
編集者
りょうちゃん
医療の世界が、それまで居た病院の外へと広がっていったんですね。
堀澤さん
まさにそうなんです。さらに、その後も知り合いを通じてクリニックの先生からお声がけいただいて。「1ヶ月に1回患者さんを集めておくから、その日にエコーを取りに来てくれないか」と。そういった話を何件かいただけるようになって、老人ホームの仕事と並行しながら行う形になりました。ほかにも、登録制のお仕事で、企業検診でエコー検査を担当するようなアルバイトもやるようになったりと、エコーのアルバイトがどんどん増えていったんです。そのタイミングで、個人事業主になりました。
編集者
クラミー
なるほど…!ご主人との老人ホーム経営業と、個人事業主としての臨床検査技師のお仕事と。
堀澤さん
個人での仕事に関しては、本当に周りの皆さんのおかげですね。大きな負債を抱えることになってしまった時は、もう死んで詫びるしかないくらいの気持ちだったんですけど、ありがたいことに少しずつ返済も進むようになりました。
編集者
りょうちゃん
その後、個人事業から法人成りして今の会社の形になったのでしょうか。
堀澤さん
実は、この後ももう一波乱ありまして。夫とは、2年半前に離婚したんです。離婚を機に、共同経営で得ていた老人ホームの収入もなくなってしまいました。自分の収入が個人事業のみになって、これは困ったなと思って。
編集者
クラミー
そうだったんですね…!確かに、生活していく以上、収入の柱が1つ減るのは大きな問題ですよね。
堀澤さん
そうなんです。当時、老人ホームをもう一度経営しないかというお話もいただいていて、選択肢としては、老人ホーム経営か、常勤として病院に戻るか、個人のアルバイト職を増やすか、この3つが自分の中でありました。ただやっぱり私はエコーを取ることがとても好きだったので、老人ホーム経営の選択肢はこの時点で外れました。
編集者
りょうちゃん
臨床検査技師としての堀澤さんの想いがとても伝わってきます…!
堀澤さん
病院の常勤に戻るのも1つの手ではあったんですけど、私はどうしても「家を建てたい」と思っていて。実家は借金の担保になっていた関係でなくなってしまって、離婚して家も出ていたので、いわゆる「“自分の拠点”を作りたい」と、強く思っていたんです。自分らしいやり方で、エコーという仕事を個人でしながら、生きていこうと改めて決意しました。
編集者
クラミー
なるほど…!組織に属さず、個人で仕事を獲っていこうと本格的に決められたんですね。
堀澤さん
はい。それから、税理士の先生に相談したんです。個人事業主として当時は国民年金を払っていましたが、厚生年金で納めたいなと思うようになったので、「もし会社を立ち上げたら、成功できますか?」と聞いてみました。
編集者
りょうちゃん
税理士の先生は何と?
堀澤さん
「もう十分成功してるんじゃない?」とおっしゃっていただいて。当時の収入の数字的な部分で、そう判断されたみたいです。先生の後押しもあって、それならば起業してみようと思い始めました。そうして、去年の7月1日に今の法人を立ち上げたという経緯になります。
編集者
クラミー
選ぶ言葉として合っているのかわからないのですが、まるでドラマのような半生を過ごされてきたんですね…!たくさんの紆余曲折があって、今に至って。
堀澤さん
大きな病気を患って、治った後も臨床検査技師でいたかったけれど、負債を抱えて、老人ホームを経営せざるを得なくなり、今度は離婚をして。家を建てたり、生きていくために会社を作ったり…と、起業の動機がちょっと不純なのかなとも思うんです。『みんなの履歴書』のインタビューを読ませていただくと、皆さん着実に医療の道を歩まれている感じがして。
編集者
りょうちゃん
でも、堀澤さんは生きるためにお仕事を選ばれてきた中で、自分の「好き」が軸としてずっと残っているのがすごいなと純粋に思います。
堀澤さん
そうですね、エコーは本当に好きなんですよね。これだけはどうしても離れたくないですし、天職なのかな、と思います。
編集者
クラミー
エコーへの愛情はすでに熱く伝わってきているのですが、堀澤さんにとってのお仕事の魅力というか、特に「ここが好き!」と思う部分って何でしょうか。
堀澤さん
まず、臨床検査技師の業務は大きく分けると2種類あって。1つは、血液などの体液の分析をする生化学検査で、もう1つは心電図や脳波などの超音波検査、いわゆるエコーを行う生理検査です。私はどちらも好きなのですが、特にエコーが好きな理由としては、患者さんと直接関わりが持てるからなんです。
編集者
りょうちゃん
なるほど…!患者さんとは、かなり密なコミュニケーションを取られるのでしょうか。
堀澤さん
そうなんです。調子が悪いとおっしゃっている部分をエコーで確認し、それが病気だったり、病気じゃなかったりと患者さんによってさまざまなんですけど。検査は大体10〜15分くらいで、その間に患者さんといろいろな話をするんです。例えば、ストレスが溜まっていたり、ご家族の介護で疲れていたり、恋人に振られてへこんでいたり…と、それぞれの人生の悩みを抱えながら、患者さんはエコー室に来られるんですね。
編集者
クラミー
体だけでなく心の痛みにも寄り添って、深いお話も交わされるんですね。
堀澤さん
そうですね。エコー技師はエコーで患者さんの病気を見つけることがまず大きな役割だとは思うんですけど、患者さんが笑い話などを交じえながらお話してくださると、逆にこちらが元気をもらえたりすることもあります。40年前くらい前に奥様を亡くしてからずっと一人暮らしをされている83歳の患者さんがいるんですけど、アイロンがぴしっとかけられた真っ白なカッターシャツをいつも着てらっしゃって。「僕はこのシャツにアイロンをかけるのが日課なんです。40年間毎日やってます。まだまだ83歳!」とおっしゃるんです。
編集者
りょうちゃん
すごい…!話を聞いているだけで元気がもらえますね!
堀澤さん
本当ですよね…!ほかにも、大きな病気を抱えていながらも、いつも綺麗な口紅を塗って静かに病気と闘っている方だったりとか、たくさんの患者さんの人生を垣間見させていただいて、自分もこんな年の重ね方をしたいなとすごく思うんです。そんな所がこの仕事の魅力ですね。
編集者
クラミー
単に患部を見つけるだけではない、それ以上の深みがあるお仕事なんですね。
堀澤さん
また、技師は自分が取ったエコーで診断を下すことはできないにしても、医師の先生に対して「こうじゃないですか?」とエコーを元に自分の見解をお伝えすることはできるんですね。なので、自分が見立てたものと実際の病気が合致して、早い段階で手術を行うことができたりすると、本当に良かったなと心から思います。患者さんの病気をいち早く見つけて、ダイレクトに先生にお届けできる一番の職種が臨床検査技師なんじゃないかなと個人的には感じています。
編集者
りょうちゃん
患者さんとの出会いのなかで、印象に残っているエピソードなどは何かありますか?
堀澤さん
患者さんの中だと、特にお母さん世代の女性は何度もエコーを取りに通ってくださることが多いので、いろいろなことが分かり合えてくるんですね。私の方が逆に、患者さんから「人の体ばかり見て、自分はちゃんと検査してる?」と声をかけられたこともあって。実際、患者さんのおっしゃる通りで、私自身は全く検査をしていなかったんです。そんなお話をしたら、「自分は大丈夫って思ったらダメでしょ?」と愛をもって怒ってくださったこともありました。
編集者
クラミー
堀澤さんのことを信頼しているからこそ、患者さんは心配だったんですね。
堀澤さん
はい、ありがたいことです。ほかにも、妊娠中だった時、仕事中どうしてもつわりがひどくなったことがあって。目の前にいる患者さんも病気でおつらいにもかかわらず、「こっちのことはいいから!赤ちゃんが大事だから!」ととても気遣ってくださいました。また、ひどい円形脱毛症で禿げ上がってしまったことも以前あったんですけど、「私もいろいろあって、頭が禿げてるの。大変だと思うけど、頑張ろう。みんな一緒だよ」と患者さんに励まされたりもしました。お世話になったクリニックの先生たちも髪のことを気にかけてくれて薬をくださったりとか、今まで関わってきた周りの方々のおかげで生きてこられたんだなと心から思います。
編集者
りょうちゃん
堀澤さんがたくさんのギブをしてきたからこそ、周りの方々も親身になって手を差し伸べてくれるんですね。
堀澤さん
そんなことはないんです。助けてもらってばかりなのは本当に私のほうで。ただ1つ思うのは、自分の両親の姿を見てきたこともあって、国家資格を持ってて良かったな、と。
編集者
クラミー
と、言いますと?
堀澤さん
両親は完全に昭和の人たちなので、特に女性は「手に職をつけなくても、専業主婦でも」という風潮のなかで生きてきたんですよね。ただ、実家で会社を経営していた関係で、両親はかなり夫婦喧嘩をすることが多くて。父と喧嘩するたびに、母は「私に職があったら、お父さんと別れてやるのに」なんてことをいつも泣きながら話していたんです。そんな姿を見て、「私は手に職をつけたい」「自立した女性になりたい」と自然と思うようになって、それがキッカケとなって臨床検査技師の国家資格を取りました。雨が降ろうが、台風が来ようが、借金をしようが、国家資格を奪われることはないので。これがあったから、自分の身を守ってこれたんだなとは思います。
編集者
りょうちゃん
堀澤さんが考える、臨床検査技師になるうえで必要な素質って何でしょうか。
堀澤さん
個人のアルバイトでお世話になっていたクリニックで、生化学検査が好きな若い女性の技師がいたんですね。ある日、心電図検査を受ける患者さんがいらっしゃって、若い方だったので、同年代のほうがいいかなと思ってその技師に声をかけたんです。「心電図、お願いできる?」と。
編集者
クラミー
その若い技師さんは何と?
堀澤さん
「私は人との関わりが苦手なので、生化学に配属してもらっているんです。なので、できません」と断られてしまって。昔だったらそんなことは言えない…!と驚いてしまいましたが、当時の私はあくまでアルバイトの身でしたし、時代の流れや今のやり方を尊重しないといけないなとは思いました。ただ、彼女のように生化学を主とする技師に伝えたいことが1つあって。
編集者
りょうちゃん
ぜひ、お聞きしたいです。
堀澤さん
例えば、γ-GTP(※1)という、お酒を飲むと数値が上がるような指標があるんですけど、基準が40だとしたら、患者さんは39だと安心するものの、これが41になると「自分は飲み過ぎだ」と非常に気にされるんですね。たった1違うだけで、患者さんを一喜一憂させることになるんです。他のデータにおいても、この「1」の重みが患者さんに与える影響は本当に大きくて。生化学検査を行う技師はどちらかと言うと縁の下の力持ちで、患者さんとお会いする機会もなかなかないんですけど、患者さんが傍にいなくても、プロとして数字をきっちり出してほしいなと思います。
編集者
クラミー
「1」がいかに重要なのかを日頃から意識してほしいということなんですね。
堀澤さん
そうですね。生理検査に関しては、先ほどもお話したようにエコーで病気を見つけるというのは大切な使命ではあるんですけど、患者さん1人1人が抱えていらっしゃる人生を加味しながら、優しい言葉をかけられるようになることが必要だと思います。私自身にとっても、人として、技師として、継続して掲げているテーマですね。
編集者
りょうちゃん
今後の展望など、これから先の未来に対して抱いている思いや願いなどは何かありますか?
堀澤さん
52歳で起業というのもちょっと遅すぎたかなとは思うんですけど、ただかと言ってこの先大急ぎで会社を大きくしたいとは考えていなくて。まだまだ世の中は男性社会で、そんな中で自分に何ができるんだろうとも思いますし、あまり急ぎすぎると転んでしまうような気もするんですよね。自分の身の丈に合った、しっかり地面を踏みしめて歩くくらいの速度で、会社を運営できたらいいなと思います。
編集者
クラミー
あくまで自分のペースで、地に足つけて、といったスタンスなんですね。
堀澤さん
そうですね。それから、エコーの仕事においては、例えばがんなどの腫瘍が見つかったとしたら、それが良性なのか悪性なのか、悪性だとしたら原発なのか転移なのかというところまで診るんですね。私の会社に来てくださる技師に関してはみんなが同じレベルで判断できるようになってほしくて、そのために腕を磨いていける場所にしていきたいんです。そうやって多くの患者さんに貢献できるような技師の会社にしていきたいなという思いがありますね。
編集者
りょうちゃん
これまでお話を伺ってきて、女性ならではのしなやかさといいますか、女性であることを強みにしながら医療人として歩まれてきたことが伝わってきました。
堀澤さん
それが、そうでもないんですよ。令和の今、確かに多方面で女性が活躍していますが、それでも周りを見るとまだまだ男性の社長さんばかりで。今の日本社会で女性である自分がどこまでやっていけるのかというのは、ずっと手探りです。ただ、おっしゃっていただいたように、女性だからこそ、より繊細な感覚で患者さんの痛みを感じ取ることはできるのかなとは思います。そういう意味では、女性で良かったですね。
編集者
クラミー
社会の中での男性と女性のあり方は、どうしてもこれまでの歴史が作ってきた部分も大きいですよね。とはいえ、「みんなの履歴書」でこれまでお会いしてきた女性の方々は本当にパワフルで、マルチタスクをこなす能力やコミュニケーション力がとても高いなと感じています。逆に、男性である自分が「もっと頑張らなければ!」と奮い立たされます。
堀澤さん
ただ女性は、木が見えても森が見えてないなと思うことがよくあって、そこは本当に気を付けないなと感じるんです。男性は森を見て、常に先を見据えていらっしゃるイメージがあります。
編集者
りょうちゃん
「木を見て森を見ず」のことわざを、男女の違いで実感されることがあるんですね。
堀澤さん
そうですね。「大阪のおばちゃん」といった感じで可愛がってもらえる場面は確かにたくさんありましたし、それがコミュニケーション力につながっていると言われればそうなのかもしれないですが、それでも私の場合は年齢から考えると、パワフルさには欠けるのかなと思います。今は、パワフルというよりも慎重に、自分にできることを落ち着いてやっていこうと考えています。
編集者
クラミー
落ち着いて、淡々と丁寧に物事と向き合えるのも女性の強みなのかなと思います。
堀澤さん
だとしたら嬉しいですね。それから、病院の世界を抜けて、他の場所で働くことで見えてきたものもたくさんあります。病院はやっぱりどうしても閉鎖的ですし、そこで一生懸命頑張るのももちろん素晴らしいことなのですが、社会は思っている以上に広いものなんですよね。毎日、患者さま、受診者さま、そして私に関わってくださるすべての皆さまと“明るく”、“感謝”の気持ちで、エコーの仕事を楽しみます。今回の私のお話が、「こんな働き方もあるんだよ」という参考に少しでもなれたらいいなと思います。
【インタビューに答えてくれたのは…】
(株)エコー検査 臨床検査技師
堀澤美香さん
1991年 臨床検査技師 取得
2005年 超音波検査士 取得
2010年 (株)希望社 取締役
2019年 エコー・ミー 代表
2022年 (株)エコー検査・堀澤 開業
消化器、心臓、乳腺、頚動脈、下肢動静脈、筋腱、シャントなどのエコーを、年間約7000件撮る。エコー技師育成。 健診委託業務を行う。
【注釈】
※1:γ-GTP・・・肝機能の指標とされる数値の一種。アルコールとの関連性が強く、日常的に飲酒をしている方は数値が上昇する傾向がある。