対談インタビュー
人をつなぐ〈縁〉と〈愛〉を大切に。未来への布石を打ち続ける薬局薬剤師
大阪府にて、精神科に特化した訪問看護を行っている『訪問看護ステーション てぃーだ』。
今回インタビューにお答えいただいたのは、てぃーだの代表である金城英之さん。精神疾患や心のケアを必要とされている方々の自宅や入所施設に、看護師や精神保健福祉士などの有資格者が伺う「精神科訪問看護」というサービスを確立させるまでの道のりを教えていただきました。
編集者
クラミー
まず、金城さんの仕事内容を教えてください。
金城さん
僕らは精神科に特化した訪問看護を行っています。現状、精神科の病院では退院促進が思ってるよりも進んでおらず、在宅で精神疾患を抱えている利用者を支援できる看護師も、不足していて。僕自身は精神科勤務の経験があったので「不足している部分を少しでも補えたら」と思い、訪問看護を行っています。
編集者
りょうちゃん
そんなに不足しているんですね。医療機関との連携はどのようにとられているんですか?
金城さん
言動や表情など微妙な変化を観察し、精神状態の悪化にいち早く気付き、病院・クリニックや担当ケースワーカーに連絡し早期に対応し、できるだけ在宅でその人らしく生活してもらえるようにと強く思い、連携をとっています。僕らの役割は“できるだけ在宅で生活できる環境を作ること”なので、そこは重視するようにしていますね。
編集者
クラミー
「通院する」といったことが難しい方々が多い中で、大変需要のある訪問医療だと感じます。利用者の方とはどのように出会われていくのですか?
金城さん
診療が必要な方の中には病識が薄い方もいて、その場合は介入していくのは正直難しいです。だいたいは、相談支援専門員やクリニック・病院ケースワーカー・地域支援担当の役所の方から依頼があり、訪問することが多いです。
編集者
りょうちゃん
介入できた先に初めて治療があるわけですもんね。
金城さん
そうですね。時間をかけながらコミュニケーションを図っていき信頼関係を作ることから始まります。
編集者
クラミー
金城さんが、今の仕事を選ばれた理由を教えてください。
金城さん
僕の場合は本当に成り行きでした(笑)。23歳の頃、 看護師の友人の家に居候させてもらいながら、3店舗ほど水商売のお店を任されていたのですが、いろいろあって辞めることになり「どうしよう…」と思っていた時に、その友人が「看護学校に入学したら寮があるから受験してみたら?」とアドバイスをくれて。
編集者
りょうちゃん
えぇ!それが理由で?
金城さん
はい(笑)。当時は看護師になるために学校へ通う、というよりは、住むための家を確保するために学校に通っていました。今思えば、それが医療の仕事に関わるキッカケでしたね(笑)。
編集者
クラミー
ある意味運命的ですね(笑)。「看護師になりたい!」という思いで入った世界ではなかったからこそ、直面した現場の試練もあったのでは?
金城さん
そうですね、経験も前情報もなかったので、病院で働き始めた時はショッキングなことが多々ありました。急性期などの患者さんは意思疎通がとれない方もいて、理解するのに悩みました。
編集者
りょうちゃん
そういった現場で働き続けるためには、ある程度の自己防衛術も必要なのかな、と思うのですが。
金城さん
そこに関しては、経験の豊富な先輩の看護師さんに、疾患を理解し発症した経緯や環境などを理解して対応していく事が大切と教えていただきました。
編集者
クラミー
先ほどおっしゃっていたように、“成り行き”で入られた今の世界。ハードな業務の中で、続けてこられた原動力はなんだったんですか?
金城さん
入職した当初は、仕事を覚えるまでは、おばちゃんにめちゃくちゃ指摘を受けたのですが、それが何だか心地よかったんです(笑)。僕が以前いた水商売の世界って、結構本音を話せない環境で簡単に人を信用できない世界でした。(自分がいた会社がたまたまだったかもしれないですが(笑))でも、病院での環境は違って本音の言葉でたくさん注意受け、指摘してくれる人たちにあたたかさを覚えたんですよね。
編集者
りょうちゃん
水商売の世界とのギャップが、無意識のうちに「ここに居たい」という感情に繋がっていたんですね。
金城さん
そうですね、いろんな場所でお母さんみたいに𠮟咤激励をいただいて(笑)。そうやって応援してくれる方に恵まれたからこそ、国家試験も頑張れたんだと思います。いや~、国家試験の時は人生で一番勉強しましたね(笑)。
編集者
クラミー
この仕事を「より頑張ろう!」と思えた出来事はありますか?
金城さん
大きな出来事でいうと結婚ですかね。縛られるのが基本嫌いで、もちろん仕事はちゃんとしますがそれまでずっと、自由に遊んだり、海外で波乗りをしたり何気なく過ごしていましたが、ご縁があって家族ができたタイミングで真剣に仕事に向き合い始めたように思います。
編集者
りょうちゃん
そこで「勤務する」ではなく、事業を「立ち上げる」を選んだ理由はなんだったんですか?
金城さん
病院に勤務していた時は、その病院のルールの中で働かないといけないのですが、「夜勤をしたくない」「この業務はいや」など、業務の愚痴が耳に入ることもあったたんです。僕の性格上、そういった言葉を聞くのがあまり好きではなく「嫌だったら辞めたらいいのに」と思うこともしばしばで。そんな時に「だったら自分たちで作ればいいんじゃないか」とひらめいて。
編集者
クラミー
ネガティブな声がひらめきを生んだんですね。
金城さん
「これが嫌」「あれが嫌」という現場の声を聞いていたからこそ、自分で会社を立ち上げた時には、それをしないようにしようと思ったんですよね。みんなでそういった会社を作っていこう、と。
編集者
りょうちゃん
その想いが『訪問看護ステーション てぃーだ』には、脈々と流れているんですね。
金城さん
そうですね。職員が時間と規則に縛られないよう、自主性を重視し相手を思いやる心で働きやすい環境づくりを心掛けています。そして何より大切にしているのは「家族を一番大切にする」こと。大切な家族がいるから、仕事を頑張れるしストレスのない環境で働くからこそ、余裕が生まれ利用者への対応も変わってくると思います。職員みんながそんな風に思える職場環境でありたいと思いますね
編集者
クラミー
セカンドキャリアに一歩踏み出したいと思っている人や、転職を考えながらも今の勤務先をなかなか辞める勇気が出ない方に、金城さんが伝えたいことはありますか?
金城さん
「苦しい」と思ったら辞めたらいいと思います。「〇年間は勤務していないとダメ」とか「たったこれだけの期間で辞めるなんて」と、周りの声が気になるかもしれないけれど、自分の合わない場所に何年間もいるなんて時間の無駄じゃないですか。実際、うちの会社にもそういった経緯で就職した子が何人かいるのですが、ここに来てからは「今が楽しい」と言っていて。
編集者
りょうちゃん
正直、履歴書に経歴を書く時に気にすることもありますもんね。だからこそ、経営者でもある金城さんの言葉は響きます。
金城さん
看護の世界って、勤務地や看護学校も含め、繋がりが深い世界なんですよ。「○○看護学校の卒業生」と聞いたら、職場にいるその学校の卒業生から話を聞くこともありますし。だからこそ、どんな場所でも正直に堅実に職務を全うすることが大切だと思います。もし今の場所で仕事ができないほど自分に負担がかかっているのであれば、辞めて新たな場所に踏み出す一歩も大切なんじゃないかな、と。
編集者
クラミー
金城さんの今後の展望を教えてください。
金城さん
実は訪問看護ステーションは、病院と違い、統計では立ち上げた訪問看護ステーションが翌年に半分近くは閉業すると言われています。看護スタッフの対応が合わなかったり、利用者の状態によっては、何気ない声掛けの一つでも、訪問看護は辞めますと言われる場合もあり、他の事業所との連携不足から不信感を抱かれると依頼が来なくなることもある為、スタッフの教育と人材確保が重要となります。なので今は『訪問看護ステーション てぃーだ』を安定させることを第一優先で考えて、職員の働く環境を整え利用者へしっかり向き合えるサービスを心がけています。そこで精神疾患を患っている老人の受け入れ先を作り、良い支援が行えるよう、今ある施設をさらに増やしていきたいですね。
編集者
りょうちゃん
それは大阪府内で?
金城さん
いえ、出身地である沖縄に施設を作りたいと思っています。沖縄県の看護師の賃金って大阪府より圧倒的に少ないんですよ。そんな現状を良い基盤を作って変えていきたいな、と。現状の労働環境を変えながら、少しでも看護師の雇用先を増やしていくことが沖縄への恩返しであり、夢の一つです。夢の間は妄想なので、この計画が目標になるよう頑張りたいです。
編集者
クラミー
では最後に、金城さんの思う精神科の看護師に必要な能力を教えてください。
金城さん
“話し上手”と“傾聴力”ですかね。利用者の方のお話を聞いて、相手に共感できるような言葉がけができることが大切だと思います。言葉一つから何を欲しているのかを想像し、理解する力、そして「理解しよう」という努力が必要です。人間、適当に話を聞いていたら、適当な返事になってしまうじゃないですか。利用者の方々はそういったセンサーがものすごく繊細に働くので、誠実に利用者に向き合える方がこの仕事には向いていると思います。
大阪府・訪問看護ステーション 代表 金城英之さん
1975年生まれ、現在47歳
1991年3月 中学校卒業
1994年3月 高校卒業
18歳 リゾート専門学校に入学
その年の8月に、同専門学校中退
19歳 建築リース会社入職
20歳 退職し、大阪へ
20歳~22歳 水商売
23歳 精神科病院へ進学就職
25歳 准看護師免許取得
2年間、実務経験を積んで再度進学
29歳 正看護師免許取得
30歳 同病院を退職
30歳~32歳 ワーキングホリデーでオーストラリアとインドネシアで過ごす
33歳 帰国後、精神科病院へ入職
40歳 退職、訪問看護職へ入職
43歳 退職、訪問看護ステーション設立
44歳 障害福祉サービス事業設立
46歳 住宅型有料老人ホーム・訪問介護事業設立
現在に至る